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アエラムックは意外と好き

 図書館でアエラムック「勉強のやり方がわかる。」がおいてあったので借りてきて適当に読んでみた。
 前にいた学習院でも図書館がシリーズを全部買っていたので結構読んでいたが、このシリーズは個人的に結構楽しめる。内容は軽いが、ふむふむと勉強になる。最近はたくさん出版される新書に興味があるし、軽いノンフィクションが私は好きなのだと自分で思う。

 今日は眠れなかったので眠らずに学校に来て昼過ぎに家に戻って寝る。変則的でちと困るが、たまにはよいだろう。

勉強のやり方がわかる。 勉強のやり方がわかる。
(2004/03/30)
朝日新聞社

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コラム:ブログの価値・商業出版との比較

「私はブロガーだ」と自称するようになってしばらくたつ。先日そんなような話を書いたらhalogenさんから「私はこの言葉が好きになれないんですよ」という意味のコメントを頂いた。気持ちは良く分かります。私が「ネット」という言葉がどうにも好きになれずに「ウェブ」という言葉に言い換えているようなものだろう。理由は特にないが、どうも好きになれない言葉というのは確かにある。ついでに言えば、私も「ブロガー」という言葉は通じるから使っているだけで確かに語感はそんなに好きではない。
 ただ、ブログというこのアマチュアのメディアに賭けて表現活動をしているという気分を表す意味で、ブロガーという言葉を使っている。

 私は過去に若気の至りで小説を書いて角川書店とメディアワークスの小説コンクールに応募したことがある。送ったときはもちろん入選して俺の小説が角川スニーカー文庫か電撃文庫として出版されて紀伊国屋やジュンク堂やとらのあなに並んでいる風景を想像した。同志サトシアキラさんも、聴いたことないけど「俺の小説が本屋に!」という空想は多分しているはずだ(というか、コンクールに送ったやつでそう思わないやつを俺は想像できない)。ついでに言えば、同志サトシアキラさんには今後に入選して、角川スニーカー文庫か電撃文庫の一冊としてとらのあなに並んで欲しいと個人的に切に思っているが、それはともかく、俺の本が商業出版されて本屋に並ぶ光景を私は結構リアルに空想していたことがある。
 だが、長年読書をしてきて数年前にふっと思うようになった。本が商業出版されても、著者はそんなよくはないんじゃないかと。
 本屋には腐るほどの本がある。ほとんどは、大して売れないし、印税だって入らないのだ。
 私が角川書店に原稿を送りつけていたときは、商業出版すればなんか有名になってお金ももらえて皆から誉められるんじゃないかとか思っていた。けど、多分ほとんどの「作家」は無名なままでお金は儲からずに大して社会的な地位は上がっていないはずなのだ。数年前にようやくそれに気づいた。
 そう思うようになったら、「商業出版もブログと同じではないか」と思うようになった。どうせ大して読まれない、金も儲からない、尊敬されるわけではない。本屋にあるほとんどの本は、ブログと基本的に同じような位置づけだと思うようになった。

 そんなようなことを思って「だったら誰でも出来るという点でブログは商業出版よりも偉大なメディアだ」と思うようになった。私自身は「何かを考えて誰かに言いたい」ということをほとんど衝動として持っている人間なので、読者の事なんかほとんど無視して「書きたいから書く・表現したいからする」ということが第一でブログをやっているのだが、書くことは自分の考えをまとめる方法として優れていると本気で思っていることもある。私は日記を書くと現状の把握と今後の動き方が見えてくるのである。だから学校での研究活動を円滑に進める上でブログはプラスになると思ってやっている。あんまり社会で意識されていないが、作文を続けることが書き手の勉強にならないはずがないのである。私はそれを主張したいので、「ブロガー」を自称しているということもある。「ブログは勉強になる・考えるツールである」という主張をしたいのだ。

 話を戻す。しばらく前から気になっていることは「商業作家は何をモチベーションとして作文を続けているのだろう?」ということ。作家のほとんどが大して金儲けできていないことは想像できる。社会的な名声だってそんなに得ていない。考えてみると、商業出版に目に見えるメリットなどないのだ。金が儲かって有名になる作家なんて一部の例外のみのはず。というか、ほとんどの「作家」にとって商業出版のメリットって何があるのだろう? と考えると多分商業的に本を書いている作家だって「書きたいから書いている」だけで実は大した理由はないんじゃないのかと思う。書く理由をえらそうに述べたとしても、多分それは後からとってつけた理由で、実は作家だって書く理由はもっていないのだと思う。書く理由なんて、そこらへんのアクティブブロガーと同レベルのはずだ。商業出版の作家の書く理由がえらくってブロガーの書く理由が劣っているはずがないと最近は思うようになった。

 実際問題として、私は商業出版された活字の本を読んで感動することは結構あるが、ブログを読んで感動することはほとんどない。だから「結果」としてブログの内容が本に劣っているということは感じているのだけど(ブロガーとしては残念でしかたがない)、ブログの持つ「新規参入が誰でも出来る、俺にも出来る」という特質は非常に素晴らしいものだと思う。結果的にブログのコンテンツが本に負けるにせよ、現時点ではそうだという結果はまだ出ていない。ひょっとするとブログもなにか本に匹敵する中身をもてるのではないか、その可能性はゼロではないし、少なくとも上に述べたように読者に何かが残せなくとも私自身の勉強には確実になる。そんなわけで、私はこのブログというメディアに賭けてみたいと思っている。


…以上、むにゅさんの記事にインスパイアされて考えてみたこと、その2。

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コラム:アニメーションの価値・フィクションの力

 大学に来て結構長くなるが、しばらく前から気づいたこととして普通の学生・教員はアニメや漫画をほとんどみないということがある。
 私は小学生くらいのときからアニメを見続けてきて、漫画も読み続けてきた。高校でオタクサークルに入ってからは回りにオタクな人たちが常時いたのでアニメや漫画を見たり読むことはごくごく当たり前のことだと思っていた。
 だが、大学に入ってしばらくして、回りの大学生のほとんどはアニメや漫画をほとんど見ていないということに気がついてしまったのだ。前の学校で比較的オタクだろうという人たちとも話をする機会があったが、その中でも私のほうがアニメや漫画にハマっている度合いが大きかったので「あれっ」と思った経験がある。この学校では俺のレベルでオタクのトップクラスなの? とすごく違和感を感じた。
 今ははっきり分かる。アニメや漫画は、日本人の大多数はほとんど興味を持たないメディアなのだ。

 言い方を変えるなら、ほとんど大多数の日本人にとってアニメや漫画は「つまらないもの」でしかないのだ。そう結論して、私はすごく驚いた。アニメや漫画は「娯楽」ではないか。娯楽のはずなのに大多数の人は興味を持たないのだ。
 だが、アニメや漫画が大好きな私からすれば、アニメと漫画はくだらないものではないと断言できる。非常に優れた表現手法でストーリーを紡ぎ出す素晴らしいものだと私は確信している。だから私はこう思うことにした。「アニメと漫画の価値が分からない大多数は、教養が低いのだ」と。
 いや、その人が何に興味を持とうとそれはその人の趣味だ。だからアニメと漫画を趣味にしないことを悪く言うものではない。それでも私は、アニメと漫画の価値が分かる人は内面が優れていて、教養がある・才能がある人なのだ、と今はかなり本気で思っている。

 アニメと漫画に限ったことではない。私は活字の本が好きで、また新聞を読むことが好きだが、私の周りの大多数の大学の学生や教員は、活字の本も新聞もそれほど読んでいない(と感じられて仕方がない)。私は活字の本と新聞は大学の学生や教員ならチェックしているものだろうと思っていたので、そうでもないということに気づいてこれもびっくりした。

 改めて考えてみると、大体数の日本人は一体何に興味を持っているのだろう? と私は現在気になっている。アニメ・漫画・活字の本・新聞はそれほどメジャーではないと私は実感している。かといってスポーツがそれほど流行っているようにも見えない。野球とサッカーが日本ではメジャーだが、それでも「好きだ」と断言する人は20%もいないだろうと思う。

 私はアニメ・漫画・活字の本・新聞・F1が特に好きだ(一番力を入れている自然科学やPC・ウェブはおいておく)。そして何でもいいが、何かのオタクであるような、何かにめちゃめちゃハマっているような人こそ人間的に魅力的だと最近は思っている。何かのオタクでないという人は魅力的ではないと思うし、またその何のオタクでもない・つまらない人が多いんじゃないかと最近は思えて、「もっとみんなオタクになろうよ」といいたい気分になっている。

 アニメ・漫画に話を戻すと、全体的に「フィクション」の力が弱くなっているのではないかと思う。「作り話に触れて考える・楽しむ」ということ。架空の話を聴いて自分の経験のように考え込んだりワクワクする経験が、流行らないのが現在じゃないかと思っている。だからアニメと漫画に限らず、「小説」「映画」「演劇」「ドラマ」とかもそれほど流行ってないんじゃないかと思う。
 私はこの空想力の欠如はなんかやばいんじゃないのかと思う。私は自分がフィクションが結構好きだから思うのだが、フィクションがさっぱり流行らないという状況はなんかやばいような気がする(だからといってノンフィクションが流行っているようにも見えないし)。…抽象的ですが、なんかいけない予感を感じるのだ。
 だからアニメ・漫画を楽しめる人というのはフィクションを理解するだけの素養があるという意味で、非常に教養がある人だと思うのである(もちろん小説でも映画でも良いのだが)。

 またフィクションの中でもアニメ・漫画・ライトノベルに特徴的な点は「人生に対して肯定的」なストーリーが多いということだ。楽しい話が多い。嫌なことがほとんど起こらない。その点を取り上げて「子供だまし」という風に否定的に捕らえる人もいるだろうが、私はアニメ・漫画は「人生をポジティブに捉えたフィクション」だと肯定的に捉えている。
 なるほど、アニメや漫画の都合が良い・楽しいことばっかりの話は嘘っぱちだ。だがそれをいうのならばTVドラマや純文学で描かれる、嫌なこと満載のネガティブな話だって嘘っぱちではないか。いくらなんでも実際の人生はあんなに嫌なことばかりではない(と私は信じる)。
 基本的にフィクションは現実とは違う、実際よりも誇張して話を作るものだと思っている。それを「楽しいことばっかり」に誇張するか「嫌なことばっかり」に誇張して描くか、アニメ・漫画と他メディアの違いはその違いだと思う。世界をポジティブに捉えるか、またネガティブに捉えるか。アニメ・漫画は世界をポジティブ・肯定的に捉えてつくったストーリーが多い。そんな世界観が好きだという心境は、とても健全だと思う(もちろん人生の負の部分を見つめることも大切だが、それは良い部分を見ることと等価値だと思う。どちらが優れているということではない)。
 私の思い込みでは、アニメ・漫画のメッセージとは「世界は楽しいんだ! 面白いんだ!」というそういう思想が表現されているのではないかと思う。人間の負の部分に注目して世界を描くのはなるほど価値があるストーリーが作れる。だが、アニメ・漫画のような人間の良い部分に注目して作ったストーリーだって、考えるに値する優れたフィクションは作れるはずだと私は思っている。

 アニメ・漫画に限らず、小説や映画やドラマや演劇を含めて「フィクション」というものになんの価値があるのか? 世界を変える力があるのか? ということがそもそも私は気になっている。だが、私は「フィクションには何かの価値があり、何かの力がある」という根拠のない予感を感じている。こんなにすごい表現手法がなんの価値もないはずがないと思っている。

 フィクションには価値があり、そして「世界をポジティブ・肯定的に描いたフィクション」であるアニメーションや漫画のストーリーにも、価値があると私は思っている。それを理解できる人は非常に教養があるのだ。


…以上、むにゅさんの記事にインスパイアされて考えてみたこと(あくまでも「きっかけ」であって直接的な返信とかコメントにはなっていない)。

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Yutaka ICHIMURA

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