英語の課題を出して、次に量子力学を考える
北大は学園祭開催中。だが私は課題に追いまくられているので祭りを冷やかす余裕がない。寂しいが祭りは毎年やるだろうし、今は今でやれることをしていればよいだろうと思う。大通り公園とか札幌駅前でやっている「YOSAKOIソーラン祭り」は興味があるのでちらっとでも見に行きたいと今は思っている。
受講している集中講義「実践科学技術英語」の課題の締め切りが本日だったので、なんとか提出する。出した自分が言うがたいした出来ではない。だからもっとしっかりした内容に書き換えたかったのだが、できないままに期日が来たので印刷して出すしかなかった。この内容では評価は低いが及第点はくるはずだ。ここらへんの値踏みはできるようになった。
来週の火曜日に、量子力学のトンネル効果について計算したレポートを出さないといけない。それなので、箱型ポテンシャルについて考える。最初は図書室で考えようと思ったが、図書室でウェブに関する岩波新書(「ウェブ社会をどう生きるか」)を見つけて読みふけってしまって結局課題は研究室に戻ってから考える羽目になる。ちなみにざっと読んだがこの岩波新書は微妙だった。正直、あまり共感できず。岩波新書は内容が硬すぎていまいち楽しめない。俺の頭がついて行けないだけか。くだらないと評判の新興新書の方がよほど楽しめる。というか、この本は何でちくま新書「ウェブ進化論」を目の敵にしてたたいているのだろうか。
最近つくづく思うのだが、大学での勉強の中心方法である「講義」という手段は勉強の方法として優れているのか? と非常に疑問を感じている。教員が一方的にしゃべってそれを90分ノートを書きながら聞くということが「勉強の方法」として優れているとはどうしても思えないのだ。
講義よりはまだ自分で本を読んで考えたほうが自分のペースで考えることができるのでよいと思う。だが、それを言い出せば、紙に文字が書いてある「本」という形式も、勉強の手段としてよいのかが疑問。紙に書いてある文字を何時間も眺めて考えるという方法が勉強の方法としてよいのか? 他の方法はないのだろうかと思う。
私は昔から大学の講義がつまらなくって仕方がなかったが、数年間きいていて「講義という方法に欠陥があるからつまらないのは当然」と思うようになってきた。この考えにいたるまでに何年もかかった。しばらく前は「興味深い講義はどんどん聴いてみよう」と思っていたが、最近は「講義は原理的に聞く価値がないから講義を聞く暇があるなら本を読むほうがよい」という心境になってきた。
PHS大手のウィルコムが新型スマートフォン「Advanced/W-ZERO3[es]」を発表した。最近携帯電話に興味があるのでこういうニュースは興味深く見れる。パソコンのヘビーユーザーである私は正直携帯電話は使う必要がないだろうし、仮に無料で好きに使えるとしてもほとんど使わないだろうと思うので今のところ持たないが、ウォッチするには面白いジャンルである。
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- 2007/06/08
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