堀江貴文の本・苦しみは天からの贈り物・将来に限界を感じるか
昼食を「なか卯」にでかけて親子丼と小うどんを食べてきた。うまい。
その足で紀伊國屋書店にでかけて堀江貴文の新刊を店内の椅子に座って全部読んでくる。非常に読み応えがある。気がつけば堀江貴文の著作に興味を持って熱心に読んでいる有様だ。
本の中で「100年前から比べたら今の日本は非常に恵まれている」という意味の話があったが、たしかにそうだろうと思う。…堀江貴文にいわれるまでもなく、客観的に見て俺の現状が恵まれていることは自明である。にもかかわらず、主観的には現状が苦しくて仕方がない。一体全体どうしたことだろう? ということをふっと思う。
学校に居るとそろそろ卒業の話がちらちらと出てくる。研究室のメーリングリストでも卒業に向けての案内が流れてくる。それを見る度に、研究室の俺以外のメンバーは卒業できるのに、俺だけは卒業できずに退学せざるを得ないということを実感して精神的にひどく苦しくなる。昨日もちょっと書いたが、昨日は特に精神的にヤバくて平静を保てないで身体がおかしくなりそうになるくらいまで苦しかった。
今日ふっと思ったが、俺が今感じている苦しみは天から贈られたギフトだと解釈するべきではないか。俺は神を信じているわけではないが、それでも俺が感じているこの苦しみにはただのネガティブなだけではない、将来に価値になり得るポジティブな要素を含んだ苦しみだと、そう解釈したいと、今日外を歩いていてふっと思った。
今日の札幌は晴れていてお日様が見えた。外が晴れているとまだ気分が上向くので良い。明日からは天気予報を見るといつもの冬の札幌らしく「曇り時々雪」だ。気温が氷点下で寒いのは別に大した事はないのだが、お日様が見えなくて精神的にちょっと落ち込んでしまうことだけはちとつらい。
> 大人と子供の違いとは限界を意識するかどうか。
数日前にふっと思ったこと。俺が札幌に来た3年前は、「将来すごくて楽しくて立派なことをしよう」という根拠のない自信と期待を持っていた。だが、今はどう頑張ったとしても「自分自身の将来は先が見えていてたかが知れているんじゃないか」というような、そんなことを思うようになってきた。
かつては将来は青天井にひらけていると思っていたが、今は人間の将来は限界があるんじゃないかということを感じている。
この違い、「将来がひらけているかあるいは閉じているかの世界観の違い」が、子供・若者と大人との違いだろうかということを、数日前にふっと考えていた。
![]() | 判決前夜 ‐堀江貴文の日本バージョンアップ論 (2009/12/05) 堀江 貴文 商品詳細を見る |
↑今日紀伊國屋書店札幌本店で読んできた堀江貴文の新刊。俺は金をけちって立ち読みで終わらせたが、内容を考えれば価値のある一冊だと感じた。
人気blogランキングへ
自然科学35位
- 2009/12/13
- 読書
- 固定リンク
- トラックバック (0)
- コメント (0)
- ↑
最近のコメント