この前のTOEICを解いていて「ちゃんと準備して試験を受けたらもうちょっとは解けるんじゃないのか」というような感覚を3回目にしてやっと得ることが出来た。それだけ1回目2回目の手ごたえがさっぱりだったということだが。
民間企業に入って、民間企業が「英語を勉強しましょう」といって、英語を勉強することを実利的に役に立つことだという風に恥も外聞もなく吹聴しているのを見て相当びっくりした。「ああ、こんなたかが英語を勉強することがここまでストレートに役に立つことだと思われている世界があったのか」と。
それはどうでも良いが、少し集中して英語を勉強したら今よりは結構使えるようになるだろうという手ごたえも最近は感じている。・・・北大で英語のアドバンスドのコースをとったり、週に一回のカナダ人講師の英会話講座に通っていたのがここで生きてくるものである。
この機会に語学をそれなりにやっておくことも有意義になり得そうだということも思う。幸か不幸か英語が出来ると民間企業ではストレートに「役に立つ」らしい。
今日は帰りに呉駅前のそごうの上の本屋に出かけたり広駅前のフタバ図書にでかけてTOEICの参考書をぱらぱらと立ち読みしてきた。これをちょっとやってみるのも大分面白そうである。
最近いろいろとシミュレーションをしていると、いよいよ日本大学通信制で勉強をする計画の実現性がさっぱり読めない。
多分それなりに時間と手間がかかりそうな気がする。だが、そのかかる手間暇がどの程度のものなのかが、多分やってみるまでわからないんじゃないかと思う。
これまでにも何回か広島の学習室に出かけていろいろと話を聴いたりテキストを読み込んでいるが、「やれば出来るかもしれない」ということは思うものだが、かといって実際にやり始めたとしてどこまで手間暇を取られるかが結局のところ読めない。
いろいろと考えてはいるし、条件次第によっては好むと好まざるとにかかわりなく出来ないという話にもなりそうだが、それでも分からない以上はとにかく出来ない可能性を考慮に入れた上で参戦するという状態になりそうである。
・・・3年次編入の場合、在学最長期間は10年である。入る前から計算するものでもないが、普通にやって4-6年、最長で10年フルに使う算段で考えてちょうどじゃないかとすら今から考える有様。
英語の勉強はなるたけ早いうちにやったほうが良いので、やるとしたら日大には入学だけしておいて最初の1年間は授業料を払うだけの様子見に徹して一年間を英語に集中するとか、たとえばそのくらいには思い切って仕掛ける必要があると思う。日大入学を伸ばすと入学する機を逸する可能性がある。だとしたら入学した後で退学するほうがまだいいんじゃないか、とか。いろいろ考える。
なかなかどうして、ここにきて行動を戦略的に立てて動かないと、という気分になってきたのは新鮮な経験である。まあ、別にどうでもいいことではあるが。先週の木曜日に体調を崩して改めて思ったが、体調が良好でそれなりに動けるならば、「どう動くか・何をするか」というのはすべてがオプションではないかと思う。「何をするか」ではなくて「やろうと思えば出来る状態にある」ことそれ自体がすでに相当ハッピーだと思う。
明日は週に一回の英語の勉強の日である。17時まで仕事をして18時から英語という割としんどい日である。・・・17時まで仕事をするだけでへたばるのにこれプラス英語というのは本当にタイトである。いや、本当に。
この前に読んだハイデガーの新書は面白かったなー。こういう自然科学で使うみたいな「論理的なものの考え方」を人文科学に対して応用して「世界」とか「神」が存在するかしないかとか、存在する理由とか、それの「証明」とか考えるんだから実に面白そうだとつくづく思う。
「『存在』には根拠がない。仮に根拠があるならば論理的に矛盾する。だから根拠はないと証明された」みたいな感じの話があったような気がするが、論理を追いきれていない部分はあるが論の進め方は大分面白かった。
最近思ったこと。
俺は自分の意思で働いているのか? と思ったとき、「働かなくてもまったく困らないけどオプションで働いている」という状態ではなく、「働かないと大分困る」という状況下で働いている以上、これは自分の意思で働いているのではなく、「いやおうなく働かざるを得ない」、「(何かによって)強制的に働かされている」状態なんじゃないかというようなことを思った(何かって何だろう?)。
呉に来てから「続・獄窓記」を図書館で借りて読んだが、結局、今の俺も獄中にいるのと「ほとんど同じ」状態なんじゃないか? というようなことを仕事をしながらぼんやり思った。可能ならば突き詰めて考えたいところだが、仕事をしないといけないのでろくに考えている暇もなくぼんやりと思うだけ。
今の俺が獄中にいないとしたならば、俺の世界と獄中とで違っているところは何なんだと思う。
明日は給料日、らしい。初任給が出たとき、ATMで通帳記帳をしたらなんか振り込まれていただけなので、そして明細書ももらって説明も受けたけど正直大した感慨もなかった。
給料が出ようと出まいと結局なにかが変わるとも思えない(3月まで学校にいたときに特にお金に困らなかったのでそのときと今とで変わっている実感がない)。そして、「嫌だと思ったとしても、それでも仕事をしないといけない」状況だと自分で思っている以上、それは基本的に投獄されているのと大して変わらないのだろうと思う。
また明日。とにかくがんばるより他にない。大分大変ではあるがやってやれないことはない。ない。ない。
↑前にちょろっと読んだ獄中記の本が思い出される。冷静に考えてみると、獄中と塀の外も大差ないのではないかということをちょろっと思うものである。本当にここは塀の外なのか、と。
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