コラム:勉強は世界を変える
勉強を続けていれば、分からないことが分かるようになる。見えないものが見えるようになる。そして、出来ないことが出来るようになって、今までになかったものを自分で作ることが出来るようになる。それが勉強の持つ力だと、最近になって実感するようになってきたと思う。
勉強をまがりなりにも続けてきたことで、前よりはなにか世界のことが分かるようになったと、私は自分で思う。分かってみて初めて、勉強をすることの価値が分かったという気分に最近はいるのである。
世界のことを考えて、それで物を作ったり考えることにチャレンジしていれば、人間というのはいろんなことが出来るんじゃないのかと、思うようになってきた。そうやっていろんなものを作ってきたのが人類ではないのかと。そして勉強を本気でやっていけば、自分も歴史を変えるようなものを作れるのではないかというようなことを本気で思うようになってきた。
ものを考えたり作ったりすると、本当にすごいことが出来ちゃうんじゃないかと、その勉強の持つ可能性を実感するようになった。そんな最近である。
「遊び」というのが何なのかということも、最近は思う。遊びというのは、やっていて自分が楽しいとか面白いと思うようなことだろう。私が楽しいとか面白いと思うことは、本や新聞を読むか、あるいは勉強をすることである。正直、アニメと漫画は前に比べると楽しめなくなってきたので困っている。それでもアニメとか漫画はまだかろうじて楽しめるが、前から思うがテレビがあまり楽しめなくなってきた。バラエティ番組をたまに見ても、何が面白いのか面白さがさっぱりと分からない。遊園地や動物園や水族館とかのテーマパークにも興味がまったく感じられない。行く気にもならないし、いったとしても多分楽しめないだろう。世の中で娯楽だと思われていることに対して、私は面白さを感じることが出来ない。そして私から見れば、世の中について考えてみたり、あるいは世の中を変えるようなことをやってみるというのが、一番やりがいがあって「面白い」ことなんじゃないかと思う。勉強が世界を変える、という勉強の可能性を本気で信じるようになると、勉強が一番面白いことで、それが以外の娯楽がなんだか面白いことに思えなくなってくる。
子供のときは、漫画を買って読んだり、あるいはテレビゲームをするのがとても好きだった。だがお金がなかったので、ゲームは時々しか買うことが出来なかった。ある程度の年齢になって、漫画とテレビゲームについては事実上ほしいと思うものは全部買えるくらいにはお金が使えるようになった。だが、買えるだけのお金が使えるようになったら、現在はゲームを面白いと思う心をなくしてしまった。漫画も今は古本屋でかばんいっぱいに買ったりするが、正直昔ほどは楽しく読んでいないということに気づいて、どうしてこんな風になってしまったのだろうかと不思議に思っている。
漫画やゲームを好きなだけ買えるような状態はとても幸せなはずだと、子どのもの時は思っていたはずだ。まさか現在のようにゲームへの興味をなくしてしまうとは。
「好きだ、という気持ちを持ち続けること」が一番重要なのではないかと思う。勉強でも何でもその対象への興味を持ち続けることが一番重要ではないかと思う。好きだと思い続けることが出来るのならば、そのほかの障害は乗り越えられると思う。だが、興味が持てないという状態だけは、いくら金を積んでも治せない。
好きだと思い続けて、下手でもなんでも続けることさえ出来るのならば、何かしらの仕事はすることが出来るんじゃないかと思う。
世界に対する情熱や興味を持ち続けたいと思う。そして世界への好奇心を持ち続けるというそれだけのことが出来れば、私は何かすごいことが出来るはずだと、そう信じている。
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- 2007/08/17
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