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コラム:「教師とは何か」を考える、私が教師をするのなら

 教育の話はあまりやりたくない。なぜなら人によって意見が全然違っていて決着しないことがやる前から分かっているし、そもそも「私の考える理想の教育」がその人の体験に影響を受けすぎていて一般的じゃない話になると思う。少なくとも私の手に負える問題ではない。
 しかし、「出来ないのは承知」で空論でも何でも考えてみることは、私自身のためにいいだろうと思うし、他人はまず反論するだろうが、私の考えが何かを明らかにする役には立つだろうという気分である。



> 「教師とはなにか」…誰だ、“聖職者”なんて最初に呼んだアホは。

 Bluesの好きな私の知り合いの問題提起を勝手に受けて考えてみる。
 実際の教師ではなく、私が考えるあるべき教師とは何かを。というか、今まで教育を受けてきて俺を教えた教員に俺は満足していないのである。「だったら俺が教師をするんならどんなやり方にする?」ということを考えてみたい。機会があれば実際にやっても見たいが、多分やったら失敗するだろう。なので所詮は空論。だが考えることには意義がある、と信じることにする。

・教師とは「イグナイター(点火剤)」である
 教員は勉強というか学問というか、そういう知識体系を教えることが仕事なんだろうと思う。生活指導とか、そういうのまで口を挟むのは私は好きじゃない。教師は勉強の話だけでいい。私は他に期待しない。
 だとすると勉強ができるようになるとはどういうことか。勉強とは「自分で分かる」以外にないのである。もう私の主観でしかないが、勉強がわかったというのは自分の頭で考えて分かるしかないのである。「考える」ことは他人に代わってもらうわけにはいかない。なので自分で考えるそのきっかけというか、刺激を与えることが教員の第一の役目ではないのかと思う。
「コレは面白そうだぜ、やってみろよ」という風な学生に対する「挑発」あるいは「アジテーション」それこそが教師の最重要の仕事だと思う。

 教える? 冗談じゃない。物理学をどうやって他人に教えたらいいんだ? あのくそつまらない原理原則とか、方程式の導出とかを黒板に書いて見せて、学生にノートに丸写しさせるのが教師のやることだなんて俺は思わない。そもそも教員の物理の講義を、黒板の丸写しで俺は「分かった!」ことなんてない。俺が物理を少しでも分かったと思ったのは、講義以外のときに自分で問題を考えて自分で問題を解いていたときだ。講義のときじゃない。講義はむしろ刺激を受けるところだと割り切っていいんじゃないのか。受講する私はそう思ったから最後のほうにはノートを書かなくなった。その場で考えて頭に刺激を与えることに集中した。勉強なんて講義以外でやるものだ。

・講義ではなく演習や実習をしてそのガイドをする、あるいは独習させる
 講義は役に立った記憶がないが、演習は非常に役立った。あの電磁気の演習で私は勉強したのだ。そして実習・実験はまあ役に立つと思う。大学は講義が中心で、演習や実習が補助的な扱いだったが、その扱いを逆にして演習や実験・実習を中心にして講義をその補助にまわしたほうが良いんじゃないのか。ただ、演習も実験もべらぼうに準備時間を食うから、準備時間をメインにとる必要はあるか。
 少なくとも講義中心で、その講義が一回90分もある、というのは勉強の方法として適切だとは私は思えない。私基準で、講義時間は減らしてその分独習かあるいは演習でもやろうかと思う。教員が一方的にしゃべって黒板を書く方法が勉強の方法として適切であるはずがない、という感覚を受けていて思う。そもそも「しゃべる」のならば面白いトークを心がけろ、という気分だ。私はその「面白いトーク」をする練習としてWEBラジオにチャレンジしている。…教師はラジオとかブログとかをやって、情報発信の練習をするべきじゃないのか。なんというか、アウトプットが下手くそだという感覚を受ける。そもそも傍から見てなにをやっているんだか考えているんだか分からない。まずは教師は「自分が何を考えているか」を外に出せ、という気分だ。なので学級通信をやたらに出す教員とか、ブログをやっている教員とかは、俺は好きだ。たとえその内容がくだらなくても、だ。アウトプットにチャレンジするということはそれ自体に価値がある。まずは学級通信を出すか、ブログでもやる。それが教師のするべきことじゃないのか。WEBラジオをやったらなおよし。

 まずは講義をする教員が「現在の大学の標準的な講義形式は最適な方法ではない」と認識することが重要だ。「他に適切な方法はないか?」と考えることがそもそも良いことだ。

・教師自身が勉強をすることの価値を示す
 私が今の日本で妙に気になるのは、第一次産業および二次産業の扱いの低さである。食べるものを作ったり、あるいは工場でモノつくりをすることが軽視されていて尊敬されているように思えない。そして「勉強すること」も大切でよいことだと思われているように見えない。つまりは、大切な価値観がバカにされているってことだ。
 教師がやるべきことは「勉強するってのは面白くって役にも立つし大切なことなんだ」というメッセージを社会に発信することではないのか。
 それには教師自身が勉強をすること、じゃないのか。教師自身が「勉強」を大切にすることで、勉強することの重要性をアピールするということが、結構大切なことではないかと思う。
 勉強は嫌なことでも苦行でもないはずだ。知らないことを知ったり、分からないことを考えたりすることは面白くって価値があることなんだ。教師がそう思って、教師自身が考えたり調べたり、「勉強する」ということをやることが大切ではないのか。

 勉強をすることで頭がよくなるというのならば、教師自身が「コイツ頭いいな、こういう風になりたいな」と、そう思われるような人間になることが大切なんじゃないのか?


・結論
 教師の仕事は「勉強を教える」ことだ。だが、勉強は他人に教えることはそもそも出来ない。自分でやる以外にないことだからだ。だから学生本人に考えさせるためのきっかけを与えることが教師の仕事であり、そのためには教師自身が勉強をする、ということが重要である。

以上…痛々しい文になった。

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